「憧れるのをやめましょう」
そんな言葉を、誰かが
ぽつりとつぶやいた朝がある。
春の海は、見た目ほどやさしくない。
穏やかな日もあれば、強い南風が吹き付ける日もある。
嵐が来れば網を揚げられない日だってあるのだ。
そんな朝は魚市場も静かになる。
それでも海は、ちゃんと準備をしている。
相模湾の魚たちは、春になると沿岸へ回遊し、
「小田原アジ」や「ワラサ」、「小ダイ」といった群れが入り始める。
この海では定置網でそれらを待ち受けるのが昔からのやり方だ。
ただし、海は約束をしてくれない。
今日は少ない、だとか、
風に阻まれ休漁、だとか・・・
毎日ヒーローになれる場所だと思ったら、
きっと肩透かしを食うだろう。
しかし、だからこそ良い。
静かな日があるから、
海が本気を出した時、
その一発が光る。
ある春の朝、網を揚げる。
すると突然、状況が変わる。
「ワラサ」が渦を巻き、
「小ダイ」が海の色を変える。
網は重く、船は傾く。
港に戻る頃には、
船の者、港の者、陸の者、皆が笑顔だ。
それはまさしく
ここぞという場面で放つ、
満塁ホームランみたいな大漁だと言える。
毎日がヒーローじゃなくていい。
その一振りのために、
静かな日がある。
だから魚市場に
「憧れるのをやめましょう」と言うのだ。
その代わり、
海を信じて待てばいい。
もしかしたら
来週こそ
魚市場の天井まで届く
特大の一発が飛び出すかもしれない。
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