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2025年04月05日

続・魚市場の哲学

小田原魚市場水揚げ概況

「米神」定置:マイワシ 13トン、アジ 900キロ、サバ 320キロ、ブリ・ワラサ 100キロ
「石橋」定置:休漁
「 岩 」定置:ブリ・ワラサ 2.4トン、アジ 210キロ
「原辰」定置:メジナ、ウマヅラハギ ほか
「江の安」定:イシダイ、ニザダイ ほか
「二宮」定置:イシダイ 110キロ、ウマヅラハギ 100キロ
「福浦」定置:アジ 300キロ ほか
「大磯」定置:アジ 110キロ ほか

伊豆方面からは、
「川奈定置」:ブリ、イシダイ ほか
「富戸定置」:スルメイカ、アジ ほか

空は一面薄墨の雲に覆われ、薄ら寒い朝だった。
潮の匂いが、私の鼻先をくすぐった。

「今日は来る」
誰ともなくそう呟いた声が聞こえた。
若い衆ではない。もう何十年もここで潮の音を聞いてきた年配の男だった。

その言葉の通り「米神」の定置網からは「マイワシ」が13トンも揚がった。
しかも大ぶりなものも混じっており、鱗が朝の光をわずかに跳ね返し、銀色の波の様に見えた。
「こいつぁ、見事だな」
そう言って、誰かが口笛を吹いた。
私はそれを見ながら「魚は獲れてこそだ」と思った。
漁があるから人が生きられる、生きるからまた漁に出るのだ。

一方で「小田原アジ」は少し減った様に感じた。
それでも1トン近くは獲れており、需要に応えるには充分だった。
「相場も上がったんだってさ」
と、今度は年若い仲買人が言った。
「来週もこれでいけるな」
その言葉に私は頷いた。
海が生きている限り、人間もまた生きてゆける。

「岩」の定置からは「ブリ・ワラサ」が400本近く。
獲れ始めの大物は少ないが、まだまだ脂は乗っている。
「ワラサ」が混じるようになったのは、初夏の兆しだ。型は小さくなってきたが、値は保たれた。
「どうも、まだいる気がするんだ」
漁に出た男が戻ってきた時、その顔に不思議な確信が宿っていた。
嗚呼、この人たちは、魚と語り合っているのだ。
私にはもう見えないものが、まだ彼らには見えているのかもしれない。

「福浦」の定置網も、久しぶりに操業を行った。
それだけでも十分に嬉しい話だった。豊漁という季節がまた人を海へと戻す。
時に危険で、時に豊かで、常に予測のつかぬこの海へ。
近頃の小田原の海は、まるで夢のように移ろう。
晴れていても、曇っていても、魚たちはやってくる。
まるで何かに導かれているかの様に。

20250405_toge.jpg私は魚を積み込む手を止め、少しだけ空を見上げた。
やがて、雲の切れ間から淡い陽が一筋、海面に落ちた。

昔、ある仲買人がこう言っていたのを思い出す。
「魚を選んでいるつもりでも、選ばれているのはこっちの方かもしれない・・・」

私はその時は笑ったが、今はその言葉が胸に沁みる。
魚市場というのは不思議な場所だ。
人間の営みと自然の運命とが交わる、奇跡のような交差点だ。
そして今日もまた何かが始まり、何かが終わる。

潮の音が遠くに聞こえる。
それはまるで、誰かが小さく歌っている様にも聞こえた。
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posted by にゃー at 17:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 小田原魚市場日報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする