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2014年06月23日

すべての魚は魚市場に通ず

小田原魚市場水揚げ概況

「米神」定置:アジ 2.1トン、サバ 850キロ
「石橋」定置:休漁
「 岩 」定置:アジ 2.6トン、ワラサ 80キロ
       サバ 100キロ、小サバ 2.8トン
「原辰」定置:休漁
「江の安」定:アジ、スルメイカ ほか
「二宮」定置:アジ 480キロ、サバ 80キロ
「福浦」定置:サバ 120キロ、トビウオ 80キロ
       ウルメイワシ 90キロ
「大磯」定置:アジ 150キロ、サバ 2.4トン
       マルアジ 100キロ、ワカシ 1トン
       アカカマス 200キロ

 伊豆方面からは、
「川奈杉本」:サバ 60キロ、トビウオ 60キロ
「山下丸網」:ワラサ 1.9トン、イサキ 85キロ
「西伊豆釣」:イサキ 170キロ ほか

 東方面からは、
「茅ヶ崎船」:生シラス 50キロ

「アジ」が獲れてりゃ安心だ。大船に乗った気持ち、いや大型漁船に乗ったつもりで魚市場を楽しもう。
それにしても富岡製糸場が世界遺産に登録されたと言うが、一方でシルクロードがやっと世界遺産として登録されたという。
NHK特集の「シルクロード」を観て育った世代としては今更!?と少々驚きを隠せないが、5000キロにも及ぶ規模と数カ国の共同という複雑な事情も影響していたのかもしれない。とにかく、あのすばらしい遺跡群が登録されたという事は、人類共有の財産を守る意義として大変喜ばしい事と考える。
シルクロードと言えば、”絲綢之路”という名が示すとおり中国と欧州を結ぶ「絹」の交易路としての役目が有名だが、かつての漁師町・小田原でも、その揚がった魚を東海道から山間部へと運ぶ街道があった。そのような漁村から峠を抜ける魚輸送の歴史としては、北陸の「サバ街道」が有名だが、その昔、東海道線が今の御殿場線を経由して沼津へと抜けていた頃。山北周辺は一大ターミナルで多くの人間が出入り、働いていた。そこには巨大な食糧需要があり、当然、近場で揚がる小田原の魚は積極的に運ばれた。よって小田原から山北、丹沢への街道には今も多くの魚屋が残り、営業している。そこでは小田原市中心部ではもう見られなくなった食習慣や料理なども残っており、「オシツケ」の煮付けや「ソウダガツオ」を使った「塩ウズワ」など貴重な食文化を残す地域となっている。
同じ頃、小田原周辺には多数のみかん山があり、その農家に出入りする人たちも大変大きなマーケットを形成していた。その話はまた今度。
posted by にゃー at 18:47| Comment(1) | TrackBack(0) | 小田原魚市場日報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
大船→松竹と勝手に期待して読み進んで、、、!
興味深い食文化ですね
昔小田原〜足柄山越えした記憶は結構険しい山道だったような峠に金太郎さんの看板が有ったような
Posted by 父島お天気カメラ at 2014年06月23日 19:35
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