「米神」定置:アジ 2.7トン、小アジ 1.3トン、マルソウダ 1トン
「石橋」定置:休漁
「 岩 」定置:アジ、スルメイカ ほか
「原辰」定置:小スルメイカ、チダイ ほか
「江の安」定:アジ 100キロ ほか
「二宮」定置:休漁
「福浦」定置:ブリ・ワラサ 150キロ ほか
「大磯」定置:アジ 500キロ、アカカマス 190キロ、小スルメイカ 100キロ
東方面からは、
「江の島網」:サバ 510キロ、マイワシ 110キロ
伊豆方面からは、
「真鶴釣船」:釣キンメダイ 100キロ ほか
「富戸定置」:メジナ、小ムツ ほか
佐島釣船 ・・・ 釣メジ 250キロ

その終焉が目前に迫っているかのような感覚が、今朝の港に立つ者の五感に確かに忍び寄ってきた。
ただし、全体として「アジ」の勢いに陰りが見られた一方で、「米神」定置は計4トンに迫る健闘で、なお主役としての座を守っている。
小田原市民にとって「地アジ」が特別な存在であるのは、鮮度や味の問題にとどまらない。それは生活に根差した文化であり、日常の贅沢であり、そして地域の誇りである。ときに、それは人生の移ろいや機微と共鳴する象徴とさえなりうるのである。
その意味において、「THE ALFEE」が50年を超えてなお第一線で活動し、幅広い世代に愛されているという事実と、「地アジ」の存在価値との間には明確な共通点がある。
いずれも、時代を超えて変わらぬ価値を提供し続ける「生活に根ざした文化財」であると言う点だ。
当然、「地アジ」の水揚げ減少は文化の危機に直結し、それは人々の不安や焦燥を呼び起こすものでもある。だからこそ「ジ・アルフィー」は活動を続けるのかもしれない。
地元に「地アジ好き」がいるように、全国には「アル中」がおり、三人の存在はもはや「地・アルフィー」と呼ぶにふさわしい、日本文化の一部となっていると言えるのだろう。
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