モダンジャズ最後の巨星、ソニー・ロリンズが逝去したと聞いた。
豪放で、それでいて繊細。海鳴りのように太く、時に霧笛のように心に響く音色。
世に巨匠と呼ばれる者は多いが、本当に“巨人”だった演者はそう多くない。彼は間違いなく、その一人だった。
四十年ほど前だったか、「ロリンズが小田原に来る」そんな話を聞きつけ駆けつけた今は無き小田原市民会館。
決して大きくはない舞台の上に、その巨人は静かに立っていた。

妖しく浮かぶ照明の中、派手な身振りはない。黒いシルエットだけが揺れ、こちらはまるで夢でも見ているような気持ちで、その音に浸りきった2時間だった。
そして一夜明けた今朝。魚市場で私は、再び“巨人”を見た。競り場のダンベに横たわる、黒々とした巨大な影。目はぎょろりと光り、長く鋭い吻だけは切り落とされていたが、その圧倒的な存在感は、まるでステージ上の御大そのものだった。

“巨人”にも色々ある昨今だが、定期的に日本公演を重ねたこの”巨人”は、まるで特定の季節に旬を迎える地魚のようでもあった。そう梅雨時になる定置網に現れる「イサキ」のように。
今年もまた来ると聞けば、ステージに駆けつけるように、競りで買い付け、旬を味わう。
魚市場という場所は不思議である。魚を見ているはずなのに、時折、人の記憶は過去を呼び覚まし、変換してしまう。
今朝、競り場に横たわっていたのは”巨人”たる「メカジキ」であり、“旬”の「イサキ」だった。
しかし本当に並んでいたのは、我が青春の日々そのものだったのかもしれない。
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